村田兆治さんのことを聞いて妻淑子さん について思い出したこと

ATTENTION
スポンサーリンク

最近ニュースを賑わしている村田兆治さん。

村田兆治さんの名を聞いて奥様のことをかつて聞いたことを思い出しました。

村田兆治さんその活躍や性格は?

村田兆治さんは元ロッテの投手として「マサカリ投法」と言われた独特のフォームから剛速球を投げ、最多勝や最優秀防御率などのタイトルを獲得した方としてその名を馳せました。

記録の裏には壮絶な努力がありました。最大の武器・フォークボールの強化のためにテニスボールを人差し指と中指に挟んだままテープで固定して寝てみたり、車のハンドルも家のドアもその2本の指で挟んだりしていた

文春オンラインより

頑固一徹な性格から「昭和生まれの明治男」とも呼ばれたりしていました。

その性格は有名で昔から妻である淑子さんの村田兆治さんに仕える姿などが評判になっていました。

村田兆治さんが肘を壊した時には数多の病院を探し回り、アメリカの名医ジョーブ博士による「トミー・ジョン手術」を受けるために夫に付き添って渡米し、甲斐甲斐しく介助しました。

結果、村田兆治さんは「奇跡の復活」を果たし、90年の引退までに215勝し、05年には野球殿堂入りを果たしました。

それだけの腕が有りながら、監督の経験は1度も無く、やはり頑固一徹な性格から「昭和生まれの明治男」と言われたその性格が災いしているとの見方もされています。

一方引退後は、離島にある中学校の全国大会「離島甲子園」を提唱し、全国の野球教室にも精力的に参加し続け、球界のために尽くしていました。

妻の淑子さん について思い出したこと

妻の淑子さんは村田兆治さんより2歳年上の姉さん女房で、縦のものを横にもしない亭主関白の夫を献身的に支えました。


スポンサーリンク


文春オンラインより

淑子さんは神戸生まれ、神戸育ちで、お嬢様学校と言われていた神戸市内の中学、高校、短大とエスカレート式に私立の女子校へ通いました。

淑子さんは学校ではどちらかというと自分本位で我が儘、お口の方は饒舌であまり評判は良く無かったようです。

丁度筆者の母の友人が淑子さんと同級生で、母はその友人から淑子さんの話をよく聞かされたそうです。

村田兆治さんと結婚した話は当時有名で、彼女に村田兆治さんの妻が務まるのかしらとよく言われていたとか。

でも彼女は献身的に村田兆治さんに仕え2人の子供を育て上げました。

母の友人が同窓会に行ったとき、「兆治さん、わたしの直球受けとめて」「明日にありて よみがえれ! マサカリ投法」「甦った男―続明日ありて」 等これらの本を沢山持参してセールスされたそうです。

それもかなりひんしゅくを買っていたとか。

それだけ淑子さんは夫の村田兆治さんに献身的だったとも言える気がします。

彼女は夫に仕え長男は電通に長女はテレビブロスの編集にいたという話しですが、2人を立派に育て上げました。

現在はお二人が住む世田谷のご自宅での姿は見かけないというご近所のお話からほとんど別に暮らしてらっしゃるのではと推測されます。

彼女も夫に仕え子供を育て、やっと自分を取り戻しているのかなとも思える気がします。

おわりに

村田兆治さんと妻の淑子さんの話を書かせていただきました。

お二人とももう70代になられ、甘いも酸いも十分経験され性格も随分昔とは変わられたのでは無いかと想像します。

村田兆治さんの今回の事件も弾みだった部分もあるような気もします。

被害に遭われた方はお気の毒としか言い様がありませんが、村田兆治さんが悪者であるとは思えません。

ご自身も言ってらっしゃるように「人生に引退は無く子供達のため80歳まで頑張る」という言葉通り、村田さんの人生を完投していただきたいと思います。

それこそが妻淑子さんへの感謝にも繋がるのでは無いでしょうか。

コメント

タイトルとURLをコピーしました