宝塚「花のみち」は阪急宝塚駅から宝塚大劇場に向かう歩道です。
中央に歩道、両側に車道が有り宝塚のイメージを象徴する道です。
もう「花のみ」ちが出来て100年近くなるんですね。
この道を歌劇を見る皆さんが100年もの間通り続けてきたって凄いですね。
宝塚「花のみち」と言われる訳は?
宝塚を流れる武庫川は、大雨のたびに氾濫を起こした暴れ川だったそうで、宝塚は、その武庫川が土砂を堆積してできた扇状地です。
元々「花のみち」は武庫川が氾濫するたびに運ばれてきた土砂が堆積した自然堤防でした。
その自然堤防をより頑強にするために松を植え、1924年宝塚大劇場開場のため整備され大正以降の歌劇ブームの中で、サクラも植えられました。
中央の歩道は鎌倉鶴岡八幡宮の参道のような葛石(かずらいし)型道路になっていて石を積んで一段高くした歩行者専用道になっています。
昭和に入り、「花のみち」と呼ばれるようになり、1937年には「花乃みち」と刻まれた灯籠が設置されました。
現在の「花のみち」は「花のみち」と言う名の通り、春には桜のトンネルが出来、松の緑とのコントラストも鮮やかで、花壇にはスミレ、ユキヤナギやバラ、あじさい、菊、クリスマスローズ等四季折々の花が絶えること無く咲き、又所々に素敵なベンチも設置されていて雰囲気のある道になっています。
この前通ったときはアジサイがきれいでした!
この「花のみち」はれっきとした市道です。
又宝塚歌劇をモチーフにしたモニュメント「ベルサイユのバラ」「燕尾服の紳士」「レビュー」の3つがあり「小林一三像」の銅像や「花時計」などが彩りを添えています。
足元には手塚治虫さんの漫画のキャラクター「火の鳥」や「リボンの騎士」「ジャングル大帝」たちが埋め込まれたプレートがあります。
一つずつ確認していくのも楽しいです。
宝塚の駅周辺から花のみちの両サイドには宝塚ホテルや南欧風の建物が立ち並んでいて、もうすっかり別世界にいるような気分になります。
かわいいお店やグルメなお店がありそれらのお店を一件ずつ覗いて見るのも楽しみの一つです。
華やかで、そして美しい街並み・・・
「花のみち」は丁度宝塚歌劇の舞台に通じる花道そのもののようです。
宝塚歌劇の大ファンだった作家の田辺聖子さんがエッセーの中で春の花のみちを「薄桃色の花の雲に包まれる」と表現されていましたが、華やかで現実を忘れるようなときめきを感じます。
それこそが宝塚「花のみち」と呼ばれる理由の気がします。
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宝塚「花のみち」何処まで?
「花のみち」は宝塚大劇場までの道と思われているのでは無いでしょうか。
少し前までは宝塚大劇場の先も宝塚ファミリーランドが続いていて、それに沿って車道より一段高くなった「花のみち」も続いていました。
現在は大劇場の先はすぐ手塚治虫記念館になっていますが、変わらず一段高くなった「花のみち」は続いていて関学小学校の辺りの歩道までを含めて古くからは「花のみち」と呼んでいます。
手塚治虫記念館から関学小学校の辺りの「花のみち」も風情があり秋には銀杏の落ち葉で歩道が黄色に染まりとてもロマンティックです。
180mほど行くと宝塚文化創造館(宝塚音楽学校旧校舎)へと左折する道があり、そこは桜橋です。
その横に広がるのが「花のみち・さくら橋公園」で、もともと宝塚ファミリーランド、そして宝塚ガーデンフィールズのあった場所に陸橋の形で架かっていました。
宝塚ファミリーランドがあったときにはこの「花のみち」から中がよく見えたものです。
「花のみち・さくら橋公園」は花のみちと言う名が前に付いてさくら橋公園となっています。
「花のみち・さくら橋公園」には子どもたちが遊ぶ遊具や、小さなステージを囲んで扇形にスタンドがあり、家族連れなどの憩いの場として、またイベントスポットとして親しまれています。
クリスマスには豪華でレベルの高いイルミネーションが点灯されテンションが上がります。
このイルミネーション「宝塚市花のみち自治会」が自治会活動として設置しています。
少し前には宝塚音楽学校旧校舎があったわけですし、考えるとやはり「花のみち」はこのさくら橋辺りをも含むようですね。
おわりに
「花のみち」はタカラヅカを象徴するような歩道です。
この道を歩くとタカラヅカの気分を味わえるんじゃないかと思います。
宝塚の「花のみち」は大劇場開場のため造られ今に至りますが、実は武庫川氾濫のため自然に出来た堤防から造られたなんて驚きですね。
その頃今の様子を想像した方はいたでしょうか。
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