湯のまち宝塚「宝塚温泉」歴史と今

歴史
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宝塚には温泉があるのをご存じですか?

歴史はとても古く、鎌倉時代の歌人藤原光経が貞応2年(1223年)に宝塚にあった小林の湯を訪れた時の歌が残っていて、鎌倉時代の初期から宝塚に温泉があることは京の都に知られていたようです。

今では宝塚歌劇のまちとして有名ですが、もともとは、温泉地として、売り出そうとしたようです。

火山がないのに宝塚温泉?

宝塚には火山がないのに温泉が湧くって不思議な気もしますが、非火山性の温泉は少ないけれどあるらしいのです。

宝塚温泉は活断層「有馬高槻活断層」に沿った温泉地です。

一説によると、その活断層は近畿地方の地下深くに太平洋から沈み込んでいるフィリピン海洋プレートの上に乗っていて、プレートが沈み込む際の高い圧力で鉱物が放出した水が起源になっている可能性があるとのことです。

同じフィリピン海プレートでも、九州には5000万年前に生まれたプレート、中国地方には2500万年以降に生まれたプレート、近畿地方には1500万年前に生まれたかなり若いプレートと、生成年代が違うプレートが沈みこんでいます。

プレートは内部に海水由来の高温流体を含んでいて、地中に沈み込むなかで圧力に押され、その高温流体を地中内部に放出しているそうなんです。

プレートの生成年代が違うとマグマが湧き立つ活火山が生まれます。

又一方では火山は生まれないのに温泉ができるのは「プレートの温度の違い」が影響していて、プレートが若いほど熱く、古いほど冷たいらしいのです。

プレートの内部には、水分だけでなくさまざまなミネラル成分が含まれているので温泉として放出されると成分が豊富な温泉になるんです。

ですから宝塚温泉や有馬温泉など近畿の温泉は活火山がないにもかかわらず温泉が湧くと言うことらしいです。

湯のまち宝塚「宝塚温泉」の歴史

宝塚温泉は、兵庫・大阪の有志が創立した会社が、鉱泉湧出所を地元から借地して1887年(明治20年)に経営することになりましたが、入浴客の急速な増加ができなかったため、明治25年に会社を解散して、温泉場を閉鎖することになりました。

一度は閉鎖された温泉ですが、宝塚温泉場持主組合によって復活します。

でも明治30年9月29日の大雨で武庫川が氾濫し、浴場は流失してしまいました。


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それでも宝塚温泉は、明治32年春新築し、その年の6月に開場しました。

開湯当時はまだ鉄道はなく、入浴客の急速な増加を望むことができませんでしたが、「箕面有馬電気軌道」(現在の阪急電鉄)の利用者増を狙って、明治44年5月1日宝塚に「宝塚新温泉」というレジャー施設を開設します。

明治30年阪鶴鉄(現在のJR)宝塚駅が出来、その時阪鶴鉄道の重役だった小林一三が辞職し、箕面有馬電気軌道(後の阪急電鉄)を敷き宝塚の発展に尽くしたのは有名な話です。

温泉地としての宝塚のピークは1970年代で、大阪万博のあった1970年には年133万人もの宿泊客を集めました。

1990年代初めまでは武庫川右岸の湯本町界隈には旅館が立ち並び、温泉情緒が漂っていました。

その頃は日本髪を結った芸子さんがよく行き来していたとか。

Instagramより

その後特に阪神大震災があってから急速に衰退し、温泉街はマンション街に変貌、現在温泉を楽しめるのは「ホテル若水」「宝塚ワシントンホテル」それに建築家安藤忠雄さん設計で有名な「ナチュールスパ宝塚」くらいになってしまいました。

「ナチュールスパ宝塚」Instagramより

温泉の湯量は非常に多く、源泉の数は2湯。源泉の温度は17℃と36℃。

鉄分を多く含み茶色く濁った「金宝泉」と、濁りがなく体にやさしい「銀宝泉」があります。

金宝泉は、含弱放射能・ナトリウム・塩化物冷鉱泉で、効能は高尿酸症(痛風)、関節リウマチなど。

銀宝泉の泉質はナトリウム・塩化物冷鉱泉で、効能は末梢循環障害、皮膚乾燥症など。

どちらの温泉も入浴すると体がポカポカし、湯冷めしにくいのが特徴で、体調に合わせて2種類の温泉を楽しめます。

アクセス
鉄道:JR宝塚線・阪急電鉄(宝塚本線・今津線)宝塚駅

おわりに

宝塚には今も温泉が湧いています。

只昔のような面影は無くなってしまいました。

現在は宝塚歌劇をメインに緑も多くとてもおしゃれなまちになっています。

でも歴史をひもとくと興味深いことが一杯です。

そんな歴史もお伝え出来たらと思います。

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