宝塚歌劇の歴史

歴史
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宝塚歌劇と言えば男装、大階段、ラインダンス、きらびやかな舞台、などが思い浮かびます。

一度宝塚の舞台を見るとすっかり夢中になる方が続出とか。

それくらい宝塚歌劇の魅力は奥深く見応えがあるようです。

宝塚の花のみちを行けば宝塚大劇場に行くことが出来ます。

それは花道を通って舞台に上がるのと同じことを意味していると言われています。

未婚の女性だけで構成される世界でも珍しい劇団で、女性が演じる「かっこいい」男役は宝塚の世界では無くてはならない存在です。

そんな宝塚歌劇にも100年を越える長い歴史があります。

宝塚歌劇歴史

阪急電鉄の創始者である小林一三氏は百貨店、鉄道、不動産、娯楽を結びつけるアイデアで大きく発展しました。

創業時から他の鉄道会社とは異なり、人々の暮らしを豊かにすることを一番に考え、提案し提供してきました。

その一つとして、鉄道の乗客誘致のため終点の宝塚に1911年に「宝塚新温泉」(宝塚ファミリーランドの前身)を作りました。

終点の宝塚をリゾート地にしようとしたのです。

その後、「宝塚新温泉」拡充のため、室内プール付きの2階建ての洋館「パラダイス」を開業しました。

その頃はまだ男女一緒に泳ぐことが許されてなくて、又温水設備もないことなどから、夏の2ヵ月ほどで閉鎖することになります。

なんか笑い話のようですね。

そして考えられたのがプール用の更衣室を舞台にし、プールを改造し客席にして、劇場を作り上げました。

宝塚歌劇official Websiteより

それが宝塚歌劇の始まりです。

凄いアイデアです。

初公演は1914年4月1日。

その内容は、12歳から17歳までの少女17名が演じる桃太郎を題材にしたおとぎ歌劇「ドンブラコ」と「浮れ達磨」、ダンス「胡蝶」の全3本でした。

少女ばかりが演じると言う発想が凄いし、内容も斬新ですね。 

給料も当時の大卒者並みの厚遇だったそうです。

そんな斬新で華やかな舞台は家族ぐるみで楽しめるものだったようです。

小林一三氏は現在も変わらない宝塚歌劇のモットー「清く、正しく、美しく」の生みの親でも有り、一人の女性として、社会人としての品格を忘れないようにとの願いを込めて贈った言葉で、時代が変わってもその精神は全ての宝塚の関係者に根付いています。

今も宝塚音楽学校の生徒さんたちの礼儀正しさは宝塚に住んでる住民も感じるところです。

1919年(大正8年)に、それまでの少女歌劇養成会を解散して新たに宝塚音楽歌劇学校が私立学校として認定されました。

そして新たに宝塚少女歌劇団として発足し、予科1年、本科1年、研究科からなる学校組織となったのです。

1923年(大正12年)1月22日に、パラダイス劇場・公会堂劇場が焼けてしまいました。

そして翌年の1924年(大正13年)に3,000人収容の宝塚大劇場が完成しました。

その頃の宝塚は当初の計画通り、宝塚新温泉(後の宝塚ファミリーランド)、宝塚歌劇と総合娯楽施設になっていました。

阪急の場合は小林一三の想いである「人々の暮らしをより豊かにする」という目標を創業時から一貫して掲げ、実際人々が「豊かな暮らしができる」「豊かさを感じられる」ことが実現出来るために労力をいとわず今まで継続してきました。


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宝塚歌劇もその一つなのです。

1930年代にはオリジナリティに溢れた形で完成され、ドイツやイタリア、アメリカなど海外でも公演を行いました。

1934年東京宝塚劇場が開かれました。

その後戦争が始まりレビューは中止されましたが、歌劇団は奉仕隊を組織して各地で慰問公演を行いました。

1944年には宝塚大劇場と東京宝塚劇場は閉鎖されましたが、歌劇は暗い時代においても日本劇場や帝国劇場で国民を勇気づける作品を上演したのです。

戦争が終わり、1950年代には宝塚歌劇の人気が再燃し、春日野八千代、寿美花代ら人気スターを輩出しました。

1955年には東京宝塚劇場での公演が再開されました。

1957年(昭和32年)宝塚歌劇の創設者小林一三氏が逝去しました。84歳でした。

宝塚大劇場で荘厳な音楽葬が行なわれました。

1960年代になると海外から振付師を招いたりしてダンスの向上に取り組み「ジャンゴ」「オクラホマ」「ウエストサイドストリー」等のブロードウェイ作品にもチャレンジできるようになりました。

1970年代には「ベルサイユのばら」が上演され、観客動員数140万人を超え日本空前の大ブームを起こし、まさに宝塚の黄金時代を築きました。   

宝塚歌劇にあまり関心が無かった方さえも、宝塚に興味を持ちファンになった方も多数いらしたようです。

1992年には70年近くの歴史がある旧宝塚大劇場が閉場し1993年には新・宝塚大劇場が新たに誕生しました。

現在の宝塚大劇場は2代目ということになります。

本拠地の兵庫県宝塚市の「宝塚大劇場」とそれに併設されている小劇場の「バウホール」それに東京都千代田区にある「東京宝塚劇場」の3つの専用劇場があります。

1995年の1月17日には「阪神・淡路大震災」が起こり宝塚大劇場も大きな被害を受けましたが、全力で復旧工事が行われその年の3月31日には、悲しみを乗り越えて大劇場での公演が再開されました。

1997年には東京宝塚劇場が建て替えのため閉館しました。

東京宝塚通年公演に向けて5組化されることになり、新しい組の名前が「宙組(そらぐみ)」と発表されました。

2001年には、新しく東京宝塚劇場 のこけら落としが行われ、関東における宝塚歌劇の拠点ができました。

宝塚歌劇は花・月・雪・星・宙の5組と「専科」に属する出演者たちにより華麗な舞台を上演しています。

2014年には「宝塚歌劇 100周年記念式典」が行われました。

宝塚歌劇は100年を超えて、現在では5組400名を超えるスターが所属していて、宝塚大劇場と東京宝塚劇場を合わせて年間900回以上もの公演を行うまでに成長しています。  

今や5組400名を超えるスターが所属し、宝塚大劇場と東京宝塚劇場を合わせて年間900回以上もの公演を行うまでになりまた。   

終わりに

宝塚歌劇には壮大な宝塚歌劇の歴史がありました。

小林一三氏のアイデアから始まった宝塚歌劇。

今や世界に恥じない素晴らしい歌劇に成長しました。

皆さんの弛まぬ努力に他なりません。

宝塚市は宝塚歌劇とともにと言っても過言では無いと思います。

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