ウイルキンソン炭酸の歴史

歴史
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現在、ウイルキンソン炭酸はアサヒ飲料のコマーシャルでもお馴染みになっています。

ウイルキンソン炭酸、実は兵庫県の宝塚付近で発見された鉱泉が、そもそもの始まりです。

宝塚が発祥なんです。

ウイルキンソン炭酸の歴史

130年以上も昔の1889年、明治22年頃、神戸在住の英国人実業家クリフォード・ウィルキンソンが、狩りに出かけた時宝塚で炭酸水が湧出しているのを発見しました。

温泉場の敷地内の泉源から湧き出ていた天然炭酸泉で、クリフォードは、早速、ロンドンの検査機関で成分検査をしたところ、飲料として優秀な結果が出たので、温泉場と交渉し、炭酸泉源の権利を譲ってもらいました。

翌年、クリフォードは、温泉場から至近距離の宝塚紅葉谷に瓶詰工場を造り、天然炭酸水の販売を開始しました。

宝塚紅葉谷瓶詰工場 近代歴史紀行より写真を拝借しました。中央がクリフォード・ウィルキンソン氏です。

無糖炭酸水に馴染みのない日本人の需要は期待できないため、ヨーロッパ、アメリカなど海外への輸出と、国内の外国人利用施設のホテル、レストラン、大使館等への販売を促進しました。

創業当初、「TAKARADZUKA MINERAL WATER」という名で販売していましたが、「TAKARADZUKA」はヨーロッパの人々には発音が難しいため、明治26年「TANSAN(タンサン)」の名に変更しました。

順調に輸出が盛んになる中、源泉が枯れてきたため、明治37年ほど近い武庫川沿いの生瀬に工場を移転しました。食品産業新聞社ニュースを参考にさせていただきました。

生瀬は宝塚と西宮の境目に当たります。

その場所は現在大きなマンションが建っていますが、その脇にはウイルキンソン生瀬工場の一部が記念館として残っています。

dendenkinoko’s diaryより

展示物等はなく地元の人の交流場所になっていて片隅にウィルキンソン・タンサン工場の全体ジオラマがその名残を止めています。

ウイルキンソン生瀬工場はとってもおしゃれなイギリス風の建築物で取り壊してしまったのはとても残念です。

dendenkinoko’s diaryより


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生瀬の工場は平成 3(1991)年まで稼働して いて、工場は阪神淡路大震災のあった平成 7(1995)年まで残っていました。

武庫川沿いにあったWILKINSONの建物を子供ながら素敵だなと思った記憶があります。

クリフォード・ウィルキンソン氏も1979年東京サミットのテーブルウォーターに採用されたり、最近の炭酸ブームには驚き、自分の先見の明に鼻が高いに違いありません。

ジョン・クリフォード・ウィルキンソン氏の奥様は日本人で2人の間には2人のお嬢さんがいました。

その昔、こんなお話があったと思うとなんとも言えないロマンティックな気持ちにさせられます。

宝塚の武庫川にかかる宝来橋のたもとに「ホテル若水」がありますが、その脇にウイルキンソンの原水の石碑があります。

実は2017年頃「ホテル若水」の従業員が炭酸水が湧いているのを発見。そこに石碑を建てました。

その側にある温泉施設「ナチュールスパ宝塚」前に全部ウィルキンソン炭酸水ばかりの自動販売機があります。

これは日本にたった一つ、宝塚ならではで「ウィルキンソン タンサン」の専用自販機は、500ミリリットル入りペットボトルを110円で販売しています。

「ウィルキンソン タンサン」ばっかりの自販機、爽快ですね。

参考文献

近代宝塚歴史紀行
「ウィズたからづか」連載 第6回 「ウィルキンソン」と宝塚

おわりに

英国人の実業家であったクリフォード・ウィルキンソンさん、ウイルキンソン炭酸が100年を経てこんなにも有名になるなんて思っていなかったことでしょう。

異国での事業はどんなにか大変だったかと想像に難くありませんね。

子供だった私もその工場の素敵な建物をを覚えているくらいですから、そのインパクトはかなりのものだったと思います。

あのまま残っていればなと悔しい思いです。

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